a box of chocolates

人生はチョコレート箱のようなもの。開けてみるまで何が入っているかわからない。でもきっと、素敵なものがいっぱい詰まっているはず。

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せつない

[ 2011/03/24 22:10 ]
幸せな話題を待っていてくださった皆様、ごめんなさい。
落ち込んでしまうような話題だけど、ちょっとだけ、書かせてください。
私の今の気持ちです。

私の、社会人生活が始まった場所だったんです。

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都会生活に慣れた身としては、不便だけれども
のどかで、美しい町だったんです。

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楽しい気持ちで、桜とそのの向こうに広がる景色を眺めた高台
必死の思いで逃げた人が、やりきれない絶望と悲嘆をもって
その向こうに広がる景色を眺めた高台になってしまいました。

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方言の高い壁に阻まれはしたものの、町の人たちとの暖かいふれあいが、とてもうれしかったのです



朝、職場に行くまでに通る道のりの、潮と魚のにおい。

通勤は徒歩。どうせ職場で着替えるんだから、毎日ジーンズ。

天気のいい毎日だった。

右も左もわからないくせに生意気なことばっかり言っていた。ごめんなさい。

仙台まで乗り継ぎ2路線。

あまりに地元になんにもないので、暇をもてあまして
週末ごとに友達に会いに仙台まで出向いていた。

仙台からSuicaで乗車したら、最寄駅はSuica対応してなくて
さらに17時半すぎると駅舎から駅員さんがいなくなってて
翌朝時間をやりくりして、駅まで精算にいった。

最初のステイ先がちょっとアレだったので、無理いって他の場所に変えてもらった。

今になってみれば、もっとあそこにいればよかった。にこにこ荘。なんて名前だ。

引越し先でも、とてもよくしてもらった。

引越し先のお風呂が壊れてたから、人生で初めて銭湯なるものにいった
後にも先にも、銭湯に行ったのはあれっきり。

小さな町だから、ステイ先を変えたら
翌日にはすでにパートのおばちゃんたちがなぜかそのことを知っていた。

休日に、先輩にドライブに連れて行ってもらった。
なのにぴよぴよで礼儀知らずだった私は、山道に
「車酔いするんで」といって寝ちゃった。
今でもその先輩につっこまれる。

飲み屋で「新生ドラえもん」の初回放送をやっていた。

よっぱらった同期が石巻まで夜のドライブをしようとした(もう時効だよね!!)。
こわくてこちらの酔いが醒めた。

真剣に仕事している魚市場を見せてもらった。

日も明けないうちから船で現場に連れて行ってもらって
こうやって働いている人もいるんだ、ということを実感した。

工場は、ロボットが動かしているのではなくて
人間が動かしているのだということを痛感した。

朝イチにはみんな集まって、ラジオ体操をしていた。

むかし捕鯨基地だったから、捕鯨船の「碇」が堂々と飾られていた。
社長も捕鯨船出身なんだって、みんな自慢していた。

町の8割ぐらいは、なんらかのかたちで私のお勤め先に関係しているんだって。
そういう話を聞いた。

壮行会は、お座敷で宴会だった。お刺し身が豪華だった。
新鮮なくじら肉を食べさせてもらった。全然くせがなくておいしかった。

酔っ払った人の方言がいつにもましてきつくって、何を言ってるか全然わからなかった。
英語のほうがまだわかる!と正直思った。

それでも楽しかった。


当分いくことはないかな、と思っていたけど
いつかまた行きたいな、と思っていたところだった。





それなのに、神様は本当に、ほんとうに理不尽なことをなさる。



あのキラキラしていた場所が
なんでもない、退屈だけど、のどかな日常が



言葉通り、跡形もなく消えてしまったなんて。




身内の方やお知り合いが被災された方のお気持ちはいかほどかとお察しします。
私は、直接の知り合いの安否は無事に確認されて、胸をなでおろしていますが

記憶の中の大切な場所が喪われてしまったことについては
なんと表現していいかわからない気持ちでいっぱいです。



ごめんなさい。
少しでもたくさんの思い出を、私の記憶の中から消えてしまわないうちに
とどめておきたかったので。
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とってもきれいな街だったんやね。
空と海のとてもあたたかい街だったんやね。
地震以降の映像で、「跡形もなくなっています」って聞いても、
元を知らないだけに、何もないなぁとしかわからなかったよ。
でも今、この街を見てわかったよ。
ほんとに跡形もなくなってしまったんやね。
この街をなくしてしまったんやね。
ほんとうに、かなしいことやね。
[ 2011/03/25 00:08 ] [ 編集 ]
旅行してみたかった場所なのですが、その風景が思い出として残ってしまっていたら今では悲しさが募ってしまうと思っていました。
この綺麗な風景が跡形もないなんて信じられないけど現実なんですね
社会人での生活を過ごしたやっすんさんはもちろん、暮らしていた方々のお気持ちは計り知れない、やりきれないだろうと思います。
本当につらいとしかいいようがないです。
[ 2011/03/25 12:54 ] [ 編集 ]
Re: タイトルなし
>ななちゃん
しんみりしてごめんね。
単なる旅行ではなくて、研修のみじかい期間とはいえ「暮らしていた」ことのある場所がなくなってしまうのはなんと表現していいかわからない気持ちです。
「喪失感」というやつなんだろうけど、その一言ではあらわせないような。

私ですらこんな風に感じてしまうのだから
その場所で先祖代々暮らしてきた方々の気持ちを思うと…胸が痛みます。
[ 2011/03/26 08:41 ] [ 編集 ]
Re: タイトルなし
> スカタン師匠
いつかこの場所も、以前のようにのどかで美しい場所に戻るのでしょうか。
三陸海岸も旅行したことがありますが、景色が美しくて食べ物がおいしくて
心に残る場所でした。
あの景色と、ひとびとと、おいしいものと、その他もろもろを取り戻すのに
一体どれくらいの歳月がかかるのか…
想像すると気が遠くなりそうだし、いまは想像することも難しい心境ですが
ふるさとを大事にする日本人のことだから、いつかきっと元通りになる日が来ると信じています。
[ 2011/03/26 08:44 ] [ 編集 ]
第2の故郷
いい場所で暮らしてましたね!
のどかな場所って若い頃はあまり魅力を感じないものですよね~

ローティーン時代の一番多感な時期に住んでいた仙台。
大好き過ぎて引っ越すことになった時すごい泣きました。
住んでいたのは市内でしたので被害はありませんでしたが、
やはり三陸から塩釜までの被災の姿は辛いです。
海は思い出と共に私の中にもしっかり残っていますからー

失われたものはもどらないけど、また美しい町を
元気なじっちゃんばっちゃんたちが笑顔で支えてきっと
ゆっくりでも作り始めてくれますよv^^

[ 2011/03/28 10:07 ] [ 編集 ]
Re: 第2の故郷
>miyoさん
miyoさんは仙台にお住まいだったことがあるのですね。
今回の震災にはとても心を痛められていることでしょう…

思い出の場所が傷つけられてしまうのは、本当に悲しいですね。

どうやって復旧したらいいのか途方にくれてしまいますが
それでも立ち直ろうとする大和魂を信じていますし
それを支えようとも思いますし
そして、その大和魂をきっと私も受け継ごうと、思っています。
[ 2011/03/29 20:21 ] [ 編集 ]
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プロフィール

yassun7

Author:yassun7
大阪生まれの大阪育ち。
そして東京に暮らしてはや11年。
予定調和がモットーだけど
予測できない人生もまた面白い
と思い始めたアラサー女子です。


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